国まもる味噌と武将

秋晴れの穏やかな日が続いています。

スーパーや食料品店などでは、旬の野菜や果物が豊かな実りを伝えていますね。
最近では毎年のように新しい品種を見かけます。
農家や種子生産の皆さんの開発力には頭が下がるとともに、同じ食品を扱うものとして気持ちが引き締まる思いがします。

開発といえば味噌にとっても、昨今の種類の豊富さや購買者へのさまざまなアプローチの仕方には、工夫が感じられます。
さらに味噌の歴史を遡れば、色々な地域に特色を持った味噌が生み出されたのは、戦国時代以降。
乱世に領土を支配した戦国武将は、戦の兵糧に欠かせない味噌づくりを奨励し、農業や地域経済を発達させていきました。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を生んだ中京地方の「豆味噌」は、夏の暑さにも強く長期保存か効く、赤褐色の辛口が特徴。天下を目指す原動力のひとつだったのではないでしょうか。

以前ブログでも書いたとおり、陣立みそなどを考えだした武田信玄は、「信州味噌」として味噌づくりを普及させました。これは海のない山国では貴重な塩を貯蔵する役割もあったため。今川・北条氏との戦いでは塩止めにあい、このことが『敵に塩を送る』の逸話となりました。

美談の真相は定かではありませんが、送った相手とされる上杉謙信も、関東に出兵した際に兵に技術を取得させ「越後味噌」を普及させています。特徴は米粒が味噌のなかで浮いてみえる、浮麹味噌。麹が多めですが辛口の米味噌です。

また前田利家の加賀藩にも『治にいても乱を忘れず、準備おさおさ怠りなく』として、徳川政権中にも軍用貯蔵として米の甘みがたつ濃厚な「加賀味噌」を造っていきました。

料理好きの伊達政宗も、味噌を重視し『御塩噌蔵』と呼ばれる大規模な醸造設備を設けました。これが日本最初の味噌工場といわれています。大豆の割合が多い風味のよい味噌で、藩政のもと製造した味噌の余剰分が、江戸の味噌問屋に払い下げられ「仙台味噌」として江戸市中に知られるようになりました。

上にあげたどのお味噌も、比較的塩味がつよく貯蔵時間が長めなのは、保存が可能な栄養食であったため。
時代や気候風土が変われば、土地に合ったお味噌が生まれていきます。
ただその背景にあるものは、どのお国柄も変わらない、食を通して人を守りたい思いだったのでしょうね。