カテゴリー別アーカイブ: 味噌のミソ

味噌も大師の知恵

待ちわびた雨が続いています。
遅い梅雨入りと共に台風の襲来には、貯水制限を行ない恵みの雨を待っていた所でも、なんだかせわしなく感じてしまいます。

降水量の少ないここ香川では、毎年のように渇水対策に追われ、水不足をいかに解消できるかが暮らしのなかのテーマとなっています。県内随所にあるため池も、昔から悩まされた先人たちの知恵。河川もあまりない土地柄、大切な灌漑用水を担ってきました。

県南部にある満濃池も、その代表的なため池の一つ。
「讃岐の水がめ」ともいわれ日本最大級の大きさを誇り、701年から704年に創設された後も、何度か修繕を繰り返しながら、香川の田畑を潤してきました。
修繕にあたった人物の一人には、地元讃岐出身の空海(弘法大師)がおられます。人材がなかなか集まらず進まなかった工事に、空海が郷土入りすることを聞きつけた多くの人々が駆けつけ、わずか3ヶ月足らずで完成させました。

この空海にも、味噌の伝承が残っています。

様々な由来のある「金山寺味噌」も、一説には空海が遣唐使として唐に渡った際、唐の金山寺から持ち帰り僧坊食として使われたとのこと。その後高野聖など修行僧が各地に金山寺味噌を広めたとの言い伝えが残っています。

また高野山からほど近い河内長野市にある盛松寺には、空海にちなんだ味噌があります。

毎年冬至にあたる12月21日に、お寺の参拝者へ振る舞う「柚子味噌」
この柚子味噌には伝承があり、その昔修行に向かう弘法大師が河内長野市にて昼食を摂られていると、村人たちが集まり流行病の相談をされました。大師は祈祷された後、排水路などの整備と共に健康促進のため柚子味噌の製造方法を教えられたそうです。

その後流行病は収まり、大師が座ったとされる場所に育った大楠は、地元の人々の信仰の対象になっていきます。江戸時代には大師の像に造られ、像をお守りするため盛松寺が創建されました。今でも厄除け大師として信仰されています。

全国にある大師信仰には、空海の足あとの中に不思議な伝説をともないながら伝わってきました。千にものぼる泉や湧き水の弘法水や、満濃池の修繕事業からも、当時から続く功名を感じることができます。

言い伝えられる味噌もその一つ。
各土地の安寧に空海の高い見聞さと幅広い博学さが活かされ、その恩恵の身近さが、今なお親しみをもってお大師さんと呼ばれる所以かもしれません。

加賀の優美な白味噌和菓子

立春が過ぎ、早くも春の気配も感じられるようになりました。
今年の冬は暖かい日が多く、寒さが行き来戻りつを繰り返しています。

最近では色々な方面の方との出会いとともに、様々な方から各地域の味噌や味噌を使った食品を教えていただくことが多くなりました。このあいだお会いした方には、北陸からのおみやげをいただきました。特に前田家ゆかりの加賀藩の地には、独自の雅さが感じられる土地柄、さまざまな和菓子があるようです。

なかでも、白味噌を使った菓子があるのはご存知でしょうか。
京都でお正月に食べる「花びら餅」は、白味噌を使った代表選手のような和菓子ですが、その「花びら餅」によく似た菓子が金沢にもあります。

能楽の演目にちなんだ「巻絹」は、絹を模した求肥に白味噌餡を挟んだお菓子。品の良い甘さとしっとりとした雰囲気は、老舗の高砂屋で作られています。
また菓匠まつ井の「友禅ころも」は、同じ求肥でも金箔をまぶしていて金沢らしい華やかさがあります。

諸江屋のれん菓子「唐松せんべい」は、白味噌が入った餅種おせんべいで、松葉を丸くまとめた様が花のようなお菓子。他にもショウガ味の「菊花」せんべいや、レンコン風味の「妙蓮」せんべいなどがあり、どれも素朴さのなかにどこかデザインセンスを感じられます。

おとなりの富山にも、白味噌を使った銘菓があります。

「江出の月」は高岡の老舗、志乃原の伝統あるお菓子、水色の薄い最中の皮に白味噌餡を挟み込んでいます。白い蜜を散らした丸く半透明な皮から、うっすらと見える黄色い餡は、富山の海にうつり込んだ満月を模したもの。あっさりとした甘さと軽い歯触りの繊細さが上品なお菓子です。

華やかな藩政文化が花開いた、加賀藩。
そのなかでも、歴代の藩主が好んだ茶の湯に欠かせない和菓子も、広く庶民に浸透していき、お膝元の金沢や高岡などでさまざまな菓子が生まれてきました。

大切に守り伝えてきた和菓子も、百万石の伝統のなかの彩りのひとつ。
心引かれる一品に出会えるよう、魅力ある街並に足をのばしてみるのも楽しそうです。

年末のごあいさつ

早いもので今年も、年末のご挨拶をさせていただく時期となりました。
年の瀬のあわただしさの中、寒さも本格的となってきましたね。

過ぎ行く年を振り返りますと、本年も皆様方から暖かいご愛顧を賜り、支えて頂いた年だったなと感慨深く感じております。

毎年好評をいただく、上海での販売イベントや味噌づくりイベント、また講演会にてお話させて頂いたりと、さまざまな所で多くの方との出会いに恵まれた事は本当に有り難く、大切な時間を過ごさせていただきました。

この一年ご支援頂きました事、厚く御礼申し上げます。

大晦日の仕事納めまで、あともう少し。
お客様に味噌をお渡ししたあとは、各神社へと甘酒をお納めして、弊社も新たな年をお迎えいたします。

来年は亥年。
日々味噌の美味しさをお届けしつつ、更なる味噌と食文化の発展を目指し、勇往邁進していきたいと思っております。
どうぞ皆様方にとりまして、晴れやかな新年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

楽しさ味わう味噌づくり

冬らしい寒さが到来しました。
朝晩の冷え込みに、昼間の日差しにありがたさを感じます。

味噌づくりに最も適した季節になった今、正月に向けて白味噌の製造をフル稼働中。その合間をぬけて今年度も、リビングカルチャーセンターさんでの『寒仕込み自家製みそ講座』を開催しています。

味噌のつくり方を実践するこの講座には、ありがたい事に沢山の方が参加してくださっています。ふだんはお会いすることのない消費者の立場の方や、味噌に興味を持ってくださる方に、直接お話させていただくのはまたとない機会。食に対する考えもお聞きでき、弊社の味噌造りを改めて気を引き締める思いになりました。

講座のなかでも一番大変でまた楽しい作業は、煮上がった大豆を手で潰していく作業。冷めないうちにすばやくすり潰し、混ぜ合わせた塩と麹に混ぜていきます。

この作業にとりかかりはじめると、皆さん和気あいあいとした雰囲気になり、大豆の潰れ具合や硬さなどを確かめてあっています。男性のググっと潰していく力強さや、細やかで丁寧な仕上げの女性など、それぞれの方が丹精をこめて作られていき、とても楽しそうです。

家庭で味噌を手作りしていた時代、味噌づくりはお祝いごとのイベントでもありました。

家族や近所総出で作り上げ、仕込みが終わると宴を催していた地域もあったようです。
また東北地方の味噌づくりでは、近所の方々と集まって作る際、大豆をつぶす臼を搗きながら盆踊りを唄ったそうで、歌わないと味噌に色がうまく付かないと言い伝えられています。

味噌づくりを覚えてお家で再度味噌をつくっていただき、新たにご家庭の行事となれば有り難い事。今回参加なさった方のなかには、ご夫婦で来ていただいた方もおられます。昨年つくられた奥様のお味噌が美味しかったそうで、今年はご主人も味噌づくりに挑戦してくださいました。

この講座は、来年の1月から3月のあいだ月2回開催を予定しています。
同じ材料や分量でも、その人それぞれの味になる「手前味噌」
食べる楽しみと共に、味噌をつくる楽しみを、ぜひ味わいに来てみてください。

要を頂く一筋の恵み

秋空が続いています。
澄み切った空の下、色づいた紅葉が目を楽しませてくれていますね。

11月に入り、今からが白味噌造りの最盛期。
作業中に感じる水の冷たさにも冬がそこまで来ていることを感じ、身に気合いがはいります。

白味噌を製造する工程は色々ありますが、米麹作りは始まりの作業。
蒸しあげたお米に麹菌をつけて、ゆっくりと熟成させていきます。気温の変化に気を配りながら温度管理をしていけば、甘い香りがほのかに立つ米麹ができあがり。次の塩を合わせる作業となっていきます。

もうもうと湯気が上がる蒸し米には、素材のよさを求めた米と共に、水が重要な素材になります。
蒸す・茹でるはもちろん、仕込みの際の味噌の硬さを決めるなど、水とは切り離せない間柄。製造を始めたころから、弊社の味噌を支えてきました。

元々、紫雲山の南に位置するこの地は、香東川の流れていた伏流水地にあたります。

江戸時代初期に流れていた旧香東川は、雨の降るたびに高松城下の町に水があふれ氾濫を繰り返していました。讃岐の治水に尽力した西嶋八兵衛なる人物は大野郷より川を塞き止め、今の郷東町方面に流れるよう一本化の工事を行いました。この工事は難しいものだったようで、塞き止め後も長期間にわたって水が湧き出していたそうです。

豊富な水量は、香東川跡地に築邸した栗林公園にも活かされています。
川跡の地下水を利用した南湖などの6つの池や、水源地の名称「吹上」からもその潤沢さが伺えますね。また弊社の近くには同じ食品加工の会社も何社かあり、豊かな推量と水質の良さを利用できた環境が感じられます。

良質な水は、味噌にとっても見えない味の要だと思います。

ふわりと白く菌糸に覆われた米麹も、栗林公園の日に照らされ朝霧かかる南湖も、讃岐山脈から流れてくる一筋の恵み。
これからも天与の恩恵として、大切に使わせて頂きたい味噌の立役者です。